『會計』

『會計』の沿革

1.『會計』の創刊 

 1917年(大正6年)3月に、神戸高商の東奭五郎教授、早稲田大学の吉田良三教授、大阪商業学校の下野直太郎教授によって日本會計學会が創立されるに際し、資金援助を行ったのが、下野の同郷同窓であった東京海上保険社長の各務鎌吉氏である。その際、各務氏の資金援助により、会計に関する専門雑誌も出版する運びとなり、吉田教授、東教授、下野教授による発行組合が作られた。この発行組合で日本會計學会の機関誌として1917年(大正7年)4月に発刊されたのが、雑誌『會計』である。
 『會計』の一般方針及び編集計画の最終決定は、発行組合を主体とする会議で行われた。明治大学の中村茂男教授が編集主任を委嘱され、出版は明治大学出版部で行われることになった。また、編集部は、東教授が定年前に神戸高商教授を辞して開業した東会計人事務所に置かれるとともに、中村教授も日本會計學会の創立者に加えられることになった。なお、『會計』の論文の著作権は組合が所有することとなった。

 

2.森山書店での出版

 中村教授が1927年(昭和2年)に急逝した後、吉田教授が同文舘出版支配人の森山譲二氏と交渉し、1925年(大正15年)に編集部と発行所が同文舘出版に移った。その際、編集主任を担当したのが当時中央大学の黒澤清教授であった。
 1929年(昭和4年)、同文舘出版の経営を三省堂書店に任せることになった際、森山氏は同文舘出版を退職し、吉田教授と三省堂書店の承諾のもとに、『會計』の版権を唯一の財産として森山書店を創業した。これにより、雑誌『會計』の出版は1930年(昭和5年)から森山書店が行うようになった。
 1937年(昭和12年)12月24日の日本会計研究学会の設立後、『會計』を事実上、日本会計研究学会の機関誌(準機関誌)とみなすことが理事会で認められた。
 その後、太平洋戦争の戦況が悪化した1944年(昭和19年)には、用紙不足により『會計』は休刊となった。『會計』が復刊したのは、1949年(昭和24年)である。

 

3.『會計』の休刊と日本会計研究学会への移管

 森山書店は、戦後長年にわたって『會計』の編集と出版を担ってきた。日本会計研究学会において機関誌『会計プログレス』が創刊された後も、『會計』は同学会の広報や研究大会等における統一論題の論文を掲載するなどして、同学会の活動を支えてきた。
 ところが、2024年(令和6年)1月に、森山書店代表取締役社長の菅田直文氏から日本会計研究学会に対して、専門誌の出版環境の悪化等により、『會計』を2025年(令和7年)3月号をもって休刊とする旨が伝えられた。これを受けて、日本会計研究学会は、同学会の前身の日本會計學会の活動期間も含め日本会計研究学会の歴史とともにあり、日本における会計研究の一翼を担ってきた『會計』の存続を図ることは緊急かつ最重要の課題であるとして、同学会への『會計』の移管を図るべく森山書店と交渉を開始した。
 その結果、2024年(令和6年)8月、日本会計研究学会の会員総会での承認の下、2025年(令和7年)4月1日をもって『會計』の出版事業を日本会計研究学会に譲渡すること、森山書店が2025年(令和7年)3月31日までに出版した雑誌『會計』に関する著作権については、そのうち5分の4を部分譲渡することで実質的に日本会計研究学会に譲渡すること、日本会計研究学会は「日本會計學会」の名称を自由に用いることができることなどを内容とする契約が日本会計研究学会と森山書店との間で締結された。
 これをもって、『會計』は2025年(令和7年)4月1日以降、日本会計研究学会における(『会計プログレス』に次ぐ)第2の機関誌となり、同学会に編集及び出版の権限が移管することとなった。

 

参考文献

黒澤清.1971.「第百巻記念号の発刊に題して」『會計』100(1):1-4.
黒澤清.1976.「日本会計学会・雑誌『會計』と同文舘」(同文舘出版株式会社『風雪八十年 同文館創業八十周年史』同文舘出版:143-149.). 
日本会計研究学会50年史編集委員会編.1987.『日本会計研究学会50年史』日本会計研究学会.